先日、着物を着て、小さなお茶会に出席しました。そして略式のお茶事も。こんな席に出られるほどの私ではありませんが、めったにないことなので、思い切って恥を覚悟で挑みました。着物もまだやっと形ができてきたホヤホヤ。それでもぴーんと張った空気、なんとも清々しい緊張感、日常ではあり得ない時間はいいものでした。そこで気がついたのですが、先日訪れたフランスの小さなパーティー、基本的な食事のマナーと、お茶の世界にはどこか共通点があるのです。言葉で言えば、少しニュアンスが変わって来てしまいますが、人をもてなすということ、呼ばれるということ、料理の出し方、心遣い、そして何よりこのひとつのイベントの流れをなめらかにするために、ずっと昔から続くマニュアルがどちらの立場にも身に付いているということ。この当たり前のような、暗黙の了解があってこそ、パーティーも、お茶事もスムースに進み、お互いが心地よい時間を持てるということ。縛られることを嫌うのではなく、束縛の中の自由を実感したのです。ちょっと言葉がオーバーになりましたが、とても遠いものが、すごく近くに感じた一日でした。
先日、神戸から着物を着た中年のご夫婦がフェリシテに来られました。お二人とも着慣れた着物姿、素敵でした。「ご主人、着物が似合われてますね」と言うと、「いえいえ、足が短いのが隠せるから、、」と奥さん。お二人の息がぴったりの楽しいご夫婦でした。着物を着るのも今の季節ならでは。倉敷の町を紬にウールのショールで歩いてはいかがですか?
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