店の名前がフランス語だからなのか、フェリシテにはフランス人の旅人がよく訪れる。そんなときはつたないフランス語で少しだけ会話の実地訓練となるわけです。といってもいつも決まったセリフですが。
今日も店の前に立っていたら、髪の長い背の高い、どうみてもフランス人のかっこいい男の子(?)がお茶を飲みにやってきた。彼の名前はアルノ。話していて今パリに留学している、うちの店でフランス語を習っていた弥生ちゃんの友だちだと判明。そこから日本語、フランス語の混ざった楽しい会話で盛り上がった。しかし彼はパリに住んでいて、日本語は週に一回のペースで習っているだけだというのに、私の、歴史だけ長いフランス語よりうんとしゃべれる。楽しい会話、ができるのだ。なぜ?いつも落ち込む。文法がじゃまをしているといわれている。そんなに文法も分かっているわけではないのになあ。実践あるのみかなあ。その答えはともかく、アルノの写真upしますね。こんなフランス語の先生だったらがんばれるかも。
スポンサーサイト
パリに住むゆきこ推薦の「モンゴルの黄色い犬」日本題は「天空の草原のナンサ」となっていました。連休の合間、シネマクレールが新しくなって、ピカピカのシートで、ゆきこに教えられたとおりハンカチ握って観て来ました。決して泣かせる映画ではないのに泣ける。モンゴルの遊牧民の家族の日常に胸ときめかせ、子供達の素朴なかわいさに心洗われ、少女ナンサと彼女が拾った犬ツォーホルの友情に涙するのです。それにしてもモンゴルの遊牧民の生活水準はかなり高く、インテリアなどのセンスもすばらしい。家から離れて学校に行っていたナンサが久しぶりに家に帰って来て、制服からストンとしたきれいな色のシルクの民族衣装に着替えるシーンがある。その着心地のよさそうな服にこれまたきれいな黄色のひもを腰にまく。その服はお母さんが子供達に手巻のミシンで縫ったもの。すべて自分達で作り上げる生活。それなのに貧しさがみじんもない。貧しいのは私の生活かも、って考えさせられる。たいへんなお母さんの日々、なのにお父さんが「町に住むか」って言った時、お母さんは「この暮らしがいいかも」って答える。いいなあ。これが生きるってことよなあ。としばらく尾を引くモンゴルの風景。行ってみたい。ナンサの家族に会いに。